
1822年9月27日 ― シャンポリオンの古代エジプト文字研究が学会で報告
空いた椅子に残る声
1822年9月27日、パリでシャンポリオンの「ダシエ氏への書簡」が学会に示された。片づけをする女性が、遠い昔の名前をもう一度読めることの意味を考える。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
椅子は、座る人がいなくなると急に重く感じられた。マドレーヌは背もたれをつかみ、床を引きずらないよう持ち上げた。パリの学者たちが集まる場所で片づけをするのは、いつもの仕事だった。話の中身を知らなくても、部屋は片づけられる。長い間、それで十分だと思っていた。
今日は古いエジプトの文字について話があったという。シャンポリオンという人の手紙が読まれたらしい。マドレーヌは会の全部を聞いていない。入口近くで耳にした名前を覚えているだけだ。絵のように見える文字が、人の言葉の音も表すという説明には、少し興味が湧いた。
彼女は難しい本を読む人ではない。けれど自分の名前を書いたものが、ただの飾りではないことは知っている。誰かがその字を読めば、自分を呼べる。遠い昔の人の名にも、そういう声が戻るのだろうか。椅子を運びながら、まだ会ったことのない人を呼びかける場面を想像した。
忘れ物を取りに来た客がいた。マドレーヌは机の上を指した。客が礼を言って帰ろうとしたので、今日は全部の文字が読めるようになったのですかと尋ねた。相手は足を止め、全部というわけではないと答えた。そこから先の説明は難しかったが、分かる所が増えたのだという意味は受け取れた。
客が帰ってから、彼女は自分の質問を少し恥ずかしく思った。扉の鍵なら、開くか開かないかだ。文字を読むことは、それほど一度に済まないらしい。だが尋ねなければ、全部が一日で解けたと思い込んでいたかもしれない。知らない者にも、聞き直す用事はあるのだと思った。
窓から光が入り、椅子の脚の影が床へ伸びていた。マドレーヌは向きをそろえた。部屋に置かれた資料へ手を出すことはしない。どれが貴重で、どれが片づけてよいものか、見た目だけでは決められない。清掃の仕事にも、分からないものを勝手に扱わないという知恵があった。
仕事の終わりに、渡された受取の紙へ自分の名を書いた。いつもより少しゆっくり書く。何千年も残したいとは思わないし、学者に読んでもらう必要もない。それでも文字になった自分の名が、今日は普段と違って見えた。いない場所でも、自分を指すことができる。それは慣れてしまうには不思議な働きだった。
外へ出ると、通りで誰かが誰かを呼んでいた。聞き慣れた声、知らない名前。マドレーヌは足を止めず、その音を聞いた。古い文字が読まれる場所にも、最初はこんな声があったのだろう。片づけ終えた部屋には誰もいない。だが今日そこに戻ってきたものは、椅子に座る人だけではなかったのかもしれない。
史実として確認できる部分
- 1822年9月27日、シャンポリオンの「ダシエ氏への書簡」が碑文・文芸アカデミーの会合で読まれた。[1・2]
- この研究は古代エジプト文字の解読における重要な段階であり、一日ですべての文字と文章が完全に読めたという出来事ではない。[1・2]