
1954年9月29日 ― CERNが正式に発足
まだ見えない場所の線
1954年9月29日、設立条約の発効によって欧州原子核研究機構CERNが正式に発足した。ジュネーブ近郊で働く架空の作業員が、杭の間に糸を張る。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
杭と杭の間へ糸を張ると、何もない地面に線が生まれた。ロルフは少し離れ、たるみを見た。ジュネーブ近郊の建設に関わる仕事では、線を引いた後で雨が降ることも、予定が変わることもある。土は図面のように平らではない。靴についた泥を落とし、彼は杭の足元を踏み直した。
ヨーロッパの国々が一緒に作る研究機関が、今日正式に発足したという。名前はセルンと聞いた。ロルフは発音を覚えたが、そこで行われる研究を説明する自信はなかった。物のもとになる小さなものを調べるのだという。小さなもののために広い場所が要るのが、最初は不思議だった。
仕事仲間には違う言葉を使う人がいた。指示がうまく伝わらなければ、二人とも同じ場所へ行って指をさす。それで済むこともあれば、やり直しになることもある。国が一緒に仕事をするという言葉を聞くと、ロルフはまず、その面倒を思い浮かべた。立派な理念だけでは、糸の高さはそろわない。
昼の休みに、家から持ってきた食べものを広げた。隣の男が少し分けようと言ったので、自分の分も差し出した。味が違った。口に合うかどうかを気にする顔に向かって、ロルフはうなずいた。何でも同じにするのでなく、違うものを隣へ置ける場所なら悪くない。研究のことは分からなくても、その感じは分かった。
午後、線を確かめ直した。測った数字と地面の印を照らし合わせる。思い込みで進めると、後で別の人が困る。自分より後に来る人が、ここを信用して仕事を始める。ロルフはそのことを考えると、退屈な確認を少し我慢できた。まだ見えない建物の最初の一部は、誰かのそういう我慢なのかもしれない。
この場所に何が完成するのか、彼の頭の中の姿は曖昧だった。未来の大きな装置を見通せるわけではない。町で聞く期待の全部を、自分の手柄のように話すつもりもなかった。ただ、戦争の道具を競うのでなく、一緒に調べるための場所だと聞いたことは、家で伝えたいと思った。
夕方、道具を数えた。一本足りないと思った杭は、土の色に紛れてすぐ近くにあった。仲間が拾い、笑って渡してくれた。遠い国同士の協力という言葉より、今のところはその動作の方が分かりやすい。自分が見落としたものを、別の位置にいる人が見つける。仕事はそれで少し進む。
帰る前に、張った糸へ目をやった。薄暗くなると見えにくい線だった。だが、ないわけではない。ロルフは足を引っかけないよう回り込んだ。今日正式に始まったものも、まだ町から大きく見えるとは限らない。見えにくい始まりを壊さないように、自分の歩く場所を確かめた。
史実として確認できる部分
- CERNの設立条約は1954年9月29日に発効し、機構が正式に発足した。[1・2]
- 条約は十二の創設国が1953年に署名したもので、科学における平和的な国際協力を目的とした。[1・2]