
1950年10月2日 ― 新聞漫画『ピーナッツ』の連載が始まる
配り終えたあとの四つの枠
1950年10月2日、シュルツの『ピーナッツ』がアメリカの7紙で始まりました。ミネアポリスで新聞を配る少年が、小さな漫画を通じて自分の朝を見直す物語です。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
配る前の新聞は重い。配り終えたあとの袋は、歩くたびに腰をたたく。ミネアポリスの朝、レイはその軽くなっていく順番を覚えていた。角の家で二部、坂の上で一部。玄関先に水がまかれている家では、紙が濡れない場所を探してから置く。
月曜日は好きではなかった。学校へ行けば、週末に何をしたか聞かれる。レイの答えはいつも、配達、と短い。映画を見た友達の話には、その先がいくらでもあった。自分の話にも続きが欲しいと思うが、新聞を一軒ずつ置いてきたと言う以上に、何を説明すればいいのかわからない。
いつもの家で、年配の女性が扉を開けた。新聞を差し出すと、彼女は裏返し、折り目を伸ばした。「漫画、変わったのね」。レイは学校の時間が気になりながらも、差し出された紙をのぞいた。小さな四つの枠に子供たちがいる。大人が主人公の話より、その空いた場所が気になった。町も家も、すべて描かれているわけではなかった。
女性は眼鏡を持ってくると言って、新聞をレイに預けた。知らない漫画の名前を、レイは声に出さず読んだ。ピーナッツ。食べ物の話なのだろうか。何でも知っているふりをしたくなる年ごろだったが、この題名と子供たちとの関係は、いくら眺めてもわからなかった。
戻ってきた女性に聞かれて、レイは正直に、初めて見る、と言った。彼女は、私も、と答えた。大人と同じ日に何かを初めて知ることがある。そのことが、思いがけずうれしかった。女性は新聞を受け取ると、明日もあるかしら、と漫画の小さな枠を指でなぞった。レイは、たぶん、としか言えなかった。
次の家へ急ぎながら、レイは新聞の中の子供を思い出した。大事件が起きたわけではない。たった少しのやり取りだった。それなのに、歩いていた道の端に、さっきまでなかった窓が一つ開いたようだった。自分の朝にも、紙を濡らさないように置いたことや、誰かと知らないものを見たことがある。
最後の一部を渡したあと、店に戻って袋を置いた。机の端には、配らずに残った新聞があった。学校へ行くまでの時間を確かめ、レイは紙を広げた。今度は人の指の先からのぞくのではなく、自分の目で最初から読んだ。読み終わると、折り目を合わせ直した。自分のものではない紙は、元の形に戻しておきたかった。
学校では案の定、週末の話になった。レイはしばらく聞いてから、今朝見つけた漫画のことを話した。題名を言うと、友達はどんな話かと尋ねた。説明しようとして、思ったより難しいことに気づいた。「明日、見せるよ」。そう答えると、いつも早く終わってほしい配達が、明日は少し待ち遠しくなった。
史実として確認できる部分
- 『ピーナッツ』は1950年10月2日、アメリカの7紙で掲載を開始した。[1・2]
- 初回は四コマ形式。掲載紙にはミネアポリスの新聞も含まれた。[1]
- チャーリー・ブラウンの有名なジグザグ柄のシャツは初回からのものではない。[2]