2026

10OCT08

木曜日

HISTORY STORY災害・暮らし
1871年のシカゴで布の包みを用意する女性を想像した挿絵

1871年10月8日 ― シカゴ大火が始まる

約束できること

1871年10月8日、シカゴで大火が始まりました。火元の俗説を再話するのではなく、荷物を選び、娘の手を取る架空の母親の夜を描きます。

ここからは、架空の人物による歴史短編です。

持っていくものを決めろと言われて、メアリーは戸棚を開けた。中身は朝と同じだった。皿、布、欠けた椀。いつもは邪魔に思うものまで、今はひとつずつ理由を持ってそこに並んでいる。外から呼ぶ声に返事をし、何も取らないまま戸棚を閉めた。

シカゴの夜が明るくなっていた。明るいのに、遠くがよく見えない。煙が流れ、通りを行く人の姿を隠した。火が出たと聞いたときは、誰かが消すのだと思った。今は、誰か、という言葉を頼りにしてはいけないと感じていた。隣の家の女が、もう出るよともう一度声をかけた。

メアリーは娘の上着を取りに戻った。寝台のそばに櫛があった。朝、髪を引っ張ったと言って娘に怒られた櫛だった。手が勝手にそれをつかむ。もっと大事なものがあるはずだと思いながら、布の包みに入れた。結び目を作ろうとすると、端と端がうまく合わなかった。

娘は扉のところで待っていた。泣いていないことが、かえって気になった。メアリーが手を差し出すと、娘は小さな靴を見下ろした。右と左を取り違えている。いつもなら直させる。今はしゃがみ、片方ずつ履かせ直した。娘が母親の肩につかまったので、ようやく体の重さを感じた。

通りに出ると、誰かが火元の話をしていた。知り合いから聞いたという人が、別の知り合いに伝えていた。メアリーは振り返らなかった。どうして起きたのか知りたい。でも今、聞いたばかりの話を確かなもののように娘へ話す気にはなれなかった。つないだ手を離さないことだけを言った。

荷物を積んだ人に道を譲り、立ち止まった老人の脇を抜けた。自分がどれほど歩いたか、通りをいくつ渡ったか、数える余裕はなかった。隣の女の後ろ姿を見失いそうになるたび、名を呼んだ。大丈夫、と返事が来た。その言葉は火のことを言っているのではない。ここにいる、という返事だった。

娘が、明日学校は、と聞いた。メアリーは、まだわからない、と答えた。明日の朝のことを考えると、何から考えればいいかわからなくなる。家に置いてきた皿を思い出した。大切なものを選べなかったことを悔やみかけて、娘の手が汗ばんでいるのに気づいた。選んでいた。いちばん先に、この手を取っていた。

少し立ち止まれる場所で、包みを開いた。櫛の歯は折れていなかった。娘の髪をそっと押さえると、今は痛くしないで、と言われた。「しない」。メアリーは櫛を使わず、指で髪を耳の後ろへよけた。約束できることが、まだ一つあった。夜の先が見えなくても、それだけは守ろうと思った。

史実として確認できる部分

  • シカゴ大火は1871年10月8日に始まり、広範囲の市街地を焼いた。[1・2]
  • 乾燥した条件、風、木造建物の多さなどが延焼に関係した。[1・2]
  • 出火の正確な原因は確定しておらず、牛がランプを倒したという話を事実として採用しない。[1]

参考資料・出典