
1066年10月14日 ― ヘイスティングズの戦い
戸口に置いた包み
1066年10月14日、イングランドでヘイスティングズの戦いが行われました。短編の舞台は戦場近くに想定した家。戦いの全体が見えない住民の一日を描きます。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
丘の向こうが静かになっても、エルスウィズは戸を開けなかった。静かなら安心してよいという決まりはない。朝から何度も外の音を聞き、聞こえないときには、かえって耳を澄ませた。傍らの甥が、もう終わったのか、と尋ねた。
兵が来ると聞いてから、家にあるものを何度も動かした。隠した場所を忘れ、探しているところを甥に見られた。叱るつもりはないのに、声が強くなった。甥は口を閉じた。それ以来、聞きたいことを聞く前に、叔母の顔を見るようになっていた。
ハロルド王の軍と、海を渡ってきたノルマンディーの軍が戦っている。大人たちの話からわかるのはそれだけだった。誰がどこにいるのか、どちらが勝っているのか。近くに暮らしていても、戦いの形が見えるわけではない。エルスウィズには、家の壁と、その外を通る声があるだけだった。
甥は木の椀を布で包んでいた。持ち出す準備を言いつけたからだ。大きすぎる布の端が、何度結んでもほどける。エルスウィズは手を出しかけて止めた。自分でやらせようと思ったのではない。手を出せば、また取り上げるような動きになりそうだった。「端を少し折って」と、言葉で伝えた。
戸の外で足音がした。二人とも動かなくなった。足音は止まり、それから離れた。知っている人かもしれない。助けを求めていたのかもしれない。何も確かめなかったことに、エルスウィズは胸の奥が冷たくなった。怖ければ人は優しくなるとは限らない。自分の手元にあるものだけを守ろうとしてしまう。
甥が、父さんは、と言った。エルスウィズは無事だとは答えなかった。無事でいてほしいことと、無事だと知っていることは違う。「戻ったら、ここを探す」。そう言うと、甥は椀を下ろした。逃げるのか、待つのか。どちらを選んでも、別の怖さがあった。
やがて近くの声が、王が死んだと告げた。誰が見た話なのかはわからなかった。甥は王という言葉を聞いても、父のことを考えているようだった。エルスウィズも同じだった。遠い名を持つ人の死が、明日から自分たちの暮らしを変えるのかもしれない。それを理解するには、目の前の一日が長すぎた。
エルスウィズは包みを一つ戸口へ寄せた。持って出るにも、戻ってきた人へ渡すにも、すぐ取れる場所だった。甥が結んだ椀はほどかなかった。不格好でも、持ち上げると結び目は締まった。「できたね」。朝から初めて、確かなことを言えた気がした。甥は椀を抱き直し、もう一度外の音を聞いた。
史実として確認できる部分
- 1066年10月14日、ハロルド2世の軍とノルマンディー公ウィリアムの軍が戦い、ノルマン側が勝利した。[1・2]
- ハロルド2世はこの戦いで死亡した。死に方の細部は本作では断定しない。[1・2]
- バトル修道院は戦いの後に建てられたため、当日の風景に登場させない。[1]