
1956年10月19日 ― 日ソ共同宣言に署名
余白を願いで埋めない
1956年10月19日、モスクワで日ソ共同宣言に署名が行われました。発効は12月12日。短編では、国の知らせと家族の消息を区別しながら放送を聞く架空の母娘を描きます。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
ラジオの音を大きくすると、隣の部屋から何か落ちた音がした。ふみは一度つまみを戻し、耳を澄ませた。娘が茶碗を置いただけだった。もう一度音を上げる。モスクワで共同宣言に署名したという知らせの中に、自分が待っている言葉がないか探した。
戦争が終わってから長い時間が過ぎている。それでも、ふみの家には、終わったと言い切れない話が残っていた。夫の消息だった。届いた知らせ、聞いた話、問い合わせた返事。確かなものと、誰かの期待が混じったものを、分けて取っておくようにしてきた。
娘は、帰ってくるの、と尋ねた。ふみはすぐ答えられなかった。放送で言っているのは国と国のことだ。自分の夫の名を読み上げているのではない。そう説明すると、娘はうなずいたが、がっかりした顔を隠せなかった。ふみ自身も、同じ質問を胸の中で何度も繰り返していた。
棚から古い封筒を取った。何度も開いた端が柔らかくなっている。入っている紙は増えていない。娘が小さかったころ、帰ったらこれを見せようと言って残したものもある。どこまで残せば待っていることになり、何を捨てれば諦めたことになるのか。誰も決めていないのに、ふみは自分で線を引いていた。
今日署名されたことと、実際に効力が生じることは、同じではないらしい。ふみは聞き取れた言葉だけを紙に書いた。知らない語があれば、無理に埋めなかった。あとで誰かに確かめるため、余白を残した。待つことに慣れたとは思わない。ただ、聞こえなかったところを願いで補う怖さは知っていた。
娘がお茶を持ってきた。熱いから、と言われ、ふみは受け皿を取った。以前は自分がそう言って渡していた。その娘が大きくなった時間を、夫を待っていた年月とだけ呼んでしまうのは違う気がした。待ちながら、娘は育ち、自分は働き、いくつもの夕食を二人で食べてきた。
放送が別の話題へ移った。ふみは音を小さくした。何もわからなかったね、と娘が言う。ふみは紙を見た。「今日決まったことは、少しわかった」。夫がどうなるかはわからない。その二つを、同じ答えにしないようにしたかった。娘は余白を指さし、ここは明日聞こう、と言った。
封筒を棚へ戻し、書いたばかりの紙は机に置いた。夕食の相談を始めると、娘は少し驚いた顔をした。ふみは、何が食べたい、ともう一度尋ねた。待つことと今日を暮らすことを、どちらか一つにしなくてよい。湯気の向こうで娘が答えるまで、今度はラジオではなく、その声を待った。
史実として確認できる部分
- 日ソ共同宣言は1956年10月19日にモスクワで署名され、12月12日に発効した。[1・2]
- 宣言は戦争状態の終了や外交関係の回復、ソ連に抑留された日本人の送還などを定めた。[1・2]
- 共同宣言は平和条約そのものではなく、平和条約締結交渉の継続も定めた。[1]