
1520年10月21日 ― マゼラン船団が海峡の入口に到達
綱の先を確かめる
1520年10月21日、マゼランの船団は、後にマゼラン海峡と呼ばれる水路の入口へ到達しました。太平洋へ抜けた日とは分けて、まだ行く先を見ていない船乗りを描きます。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
岸が続いているようにも、切れているようにも見えた。ディエゴは目を細めた。自分が先に見つけたと言いたいのではない。今度こそ道があるのか、それともまた陸に行く手を止められるのか。それを早く知りたかった。
マゼランの船団で海を進んできた若い船乗りには、岸の名を覚える余裕があまりなかった。食べること、眠ること、命じられた仕事を間違えず終えること。一日をそれで満たしているうち、家を出たころに思っていた冒険の形は、ずいぶん変わっていた。
目の前の綱が絡んでいた。ディエゴは先を引き、かえって締めてしまった。そばの年上の船乗りが、引く前に見ろ、と言った。いつも言われることだった。海の向こうを見ていると、手元の綱が見えなくなる。叱られた腹立ちを綱に向けないよう、膝の上で輪を一つずつほどいた。
水路の入口らしい、と声が伝わってきた。確かに、その先にも水はある。だが、それがどこへ続くのかは、ここから見えない。ディエゴは、これで着いたのか、と聞きかけて口を閉じた。何に着いたのか、自分でも説明できなかった。探している通り道を見つけることと、海を渡り終えることは同じではない。
年上の男が隣に腰を下ろし、家では誰が待っている、と聞いた。ディエゴは母と妹のことを話した。妹は出発するとき、海を見たら何色か教えてくれと言った。毎日違う、と今なら答えられる。だが、その答えを届けられる日はまだ遠い。母は色より、ちゃんと食べているかを聞くだろう。
陸を見ながら、ディエゴはそこに暮らす人のことを考えた。自分たちにとって初めての岸でも、誰かには戻ってくる岸かもしれない。見つけたという言葉が船の上を行き交うたび、その言葉の向きは、いつもこちらからだけなのだと思った。誰かがこちらを見ているのかどうかもわからなかった。
綱がほどけた。ディエゴは丁寧に巻き直し、男に見せた。今度は何も言われなかった。褒められないことが、ちゃんとできた印になる場合もある。立ち上がると、足が少ししびれていた。長い航海の中で、この日の景色を忘れても、膝の上でほどいた綱の感触は残る気がした。
前方を確かめる人の声が聞こえた。ディエゴは持ち場へ戻った。向こうに別の海があると、まだ自分の目では見ていない。あるはずだと願うことと、見たと言うことの間には、船を進める仕事が残っている。今度は綱を引く前に、どこへつながっているのかを確かめた。
史実として確認できる部分
- マゼラン船団は1520年10月21日、南アメリカ南端で探していた水路の入口に到達した。[1・2]
- 太平洋への到達は11月28日。10月21日に海峡の通過を終えたわけではない。[2]
- 船団側にとっての到達であり、地域が無人だった、誰も知らなかったという意味の『発見』とはしない。