
1797年10月22日 ― ガルヌランが気球からパラシュート降下
見上げた首の痛み
1797年10月22日、パリでガルヌランが気球からパラシュートで降下しました。布を縫う架空の女性が、地上から見守る一日を描きます。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
空を見上げ続けると、首が痛くなる。セシルは襟元へ指を入れ、顔を一度下げた。パリの公園に集まった人たちは、まだ上を見ている。誰かが動けば、それだけで周りがどよめいた。何も起きていないのに、起きたと思ってしまう。
気球から人が降りるのだという。大きな布を使って。セシルは仕立ての仕事をしていたので、布と聞くと重さや縫い目が気になった。人を支えるほどの布なら、どれほど丈夫に縫うのだろう。そんな話をすると、同行した従兄は、今日は仕事を忘れろ、と笑った。
だが、空にあるものが何からできているかは気になった。見えなくなるほど小さな人と、遠くからでも見える白い布。その間に、誰かの手が結び、縫い、確かめた場所がある。セシルは見えない縫い目を追うように目を凝らした。人が空へ行く話なのに、頭には机と針が浮かんでいた。
周りの声が急に大きくなった。布の下に小さな籠が見える。気球から離れ、降りてくるものを、セシルはうまく言葉にできなかった。落ちている。でも、ただ落ちる速さとは違う。揺れるたびに胸が縮み、次の瞬間にはまだそこにあることを確かめた。
従兄が何か言ったが、聞こえなかった。セシルは自分の両手を握り合わせていた。見るために来たのに、無事に地面へ着くまで見ていたくない気もした。近くの子供が大人の袖を引き、どこ、と尋ねている。その声に助けられて、セシルは指を伸ばした。あそこ、と言えば、自分も見続けられた。
降りていく場所は、人の肩に遮られてよく見えなかった。無事だという声が広がるまで、セシルは拍手をしなかった。自分が見ていない最後の瞬間を、見たことにしてしまいたくなかった。やがて人の顔が緩み、従兄が息を吐いた。そのときになって、セシルも手をほどいた。
帰り道、従兄は、怖くなかった、と言った。セシルは、私は怖かった、と答えた。従兄は少し黙り、それから、自分も最後は、と言い直した。二人は笑った。空へ出た人が何を感じたかは知らない。地面に立っている自分たちでさえ、怖さを認めるのに少し時間がかかった。
家の机には、朝から残っている縫い物があった。セシルは糸を確かめ、ほつれかけたところを縫った。この服が空で人を支えることはない。それでも、着る人は縫い目を信じて体を動かす。針を進めながら、今日は少し違う気持ちで仕事ができると思った。空を見上げていた首の痛みが、まだ残っていた。
史実として確認できる部分
- 1797年10月22日、ガルヌランがパリで気球からのパラシュート降下を行った。[1・2]
- 当時の装置は現代の背負うパラシュートとは異なり、布の傘の下に籠が吊られた。[1・2]
- 高度の数値には資料間で幅があるため、本作では確定値を用いない。