
1517年10月31日 ― ルターが贖宥状をめぐる書簡を書く
軽い包みを次へ渡す
1517年10月31日付で、ルターは贖宥状(罪に伴う罰の軽減に関わる証書)の扱いをめぐる書簡を送りました。扉に論題を打ち付けたという有名な場面には議論があるため、短編は架空の取り次ぎ役を描きます。
ここからは、架空の人物による歴史短編です。
紙の束は軽かった。コンラートは袋へ入れ、口を閉じた。重ければ大切で、軽ければそうでもない。荷物を運び始めたころは、どこかでそんなふうに思っていた。だが、何も落とさず届けたときに相手が見せる顔は、荷の重さでは決まらなかった。
ヴィッテンベルクには、学ぶ人と教える人がいる。コンラートは用事を運ぶ側だった。読み書きをもっと覚えたいと思っているが、知らない文字の並ぶ紙を前にすると、そこから先は別の人の世界に感じられた。意味がわからなくても、濡らさずに運ぶことはできる。その仕事を小さく思いたくはなかった。
今日は、ルターという大学の先生が上の立場の聖職者へ送る書簡に関わる包みを、取り次ぐという用事だった。中身を読んでいないコンラートには、どんな返事を望んで書かれたものか、わからない。誰かを言い負かすための紙かもしれないし、何かを尋ねるための紙かもしれなかった。
戸口で袋の結び目を確かめていると、知り合いが声をかけた。何を運ぶのかと聞かれ、手紙だと答えた。「大事な?」。コンラートは少し考え、書いた人には、と言った。知り合いは笑い、どの手紙もそうだろうと答えた。確かにそうだった。自分が家族へ書けるようになれば、短い手紙にも返事を待つはずだった。
町を歩く間、何か特別な音が聞こえたわけではない。人は店先で話し、用事のある方へ進む。大きな変化が始まる日には、誰もが気づくしるしがある。物語で聞くとそう思えてしまう。けれど、コンラートに見えるのは、いつもと同じ戸口と、足元の道だけだった。
途中で袋の紐が肩に食い込んだ。軽い荷なのに、持ち方が悪いと痛くなる。位置を直し、紙が折れすぎていないか外から確かめた。中を開ける必要はない。任された範囲を守ることも、届ける仕事の一部だった。自分に見えない意味まで、勝手に引き受けなくてよかった。
取り次ぎを終えると、手元が空いた。何が書いてあったのかは、結局知らないままだった。帰りに知り合いとまた会い、届いたかと聞かれたので、次へ渡したと正確に答えた。最終的な相手が読んだところを見たわけではない。その小さな違いを言えることが、自分の仕事の確かさだった。
家へ戻る途中、コンラートは文字を教わる約束を思い出した。疲れているからと、何度か断っている。今日は顔を出そうと思った。運ぶだけでも役には立つ。けれど、自分の問いを紙に書き、誰かに読んでもらうこともしてみたい。軽かった包みの重さを思い出しながら、いつもとは違う角を曲がった。
史実として確認できる部分
- ルターは1517年10月31日、贖宥状の扱いを問題にする書簡を上位の聖職者へ送り、95か条の論題を添えたとされる。[2・3]
- 同日に教会の扉へ論題を打ち付けたかについては研究上の議論がある。書簡の日付と、扉への掲示の伝承を区別する。[1・2]
- この日の行動が、後年の宗教改革を最初からすべて意図していたとは断定しない。[2]